暑い。ここ数日のニューヨークは例年に比べるとかなり暑いようで、30度を超える真夏の日射しが降り注いでいる。
夏と言えば海。近くにビーチがあると聞き、ブルックリンの寝床から電車で20分程のビーチに行ってきた。まさか東京より暑いとは思わなかったし、ビーチが近いことも知らなかったので、もちろん水着なんてナシ。
まあノンビリ散歩でもしようかと思い、Coney beachなるところへ。
2010年6月4日金曜日
2010年6月3日木曜日
ブルックリンの夕焼け
2日目のニューヨーク、ドミトリーで朝早く目が覚めた。ていうか、窓から一番遠いベッドだったのに風が肌寒かった。窓際で熟睡してる欧米人が信じられない。
とりあえずシャワー浴びて、11時までの間に急いでネットで次の寝床を探す。いくつか当たるも空きがないと断られたところで、以前空き状況を問い合わせたことがある、日本人が経営しているゲストハウスがブルックリンにあることを思い出した。
確か週単位で予約を受け付けてたし、6月は例年それほど客が多くないと言っていたはず。
ニューヨークにはインターン目的で6-8月は多くの学生が訪れるようで、このためにインターナショナルな感じのところはどこの宿も結構埋まっている可能性が高い。だけど、日本人を相手してるところなら、6月は割と余裕があるだろうし、ゆっくりとルームメイト探しをできるんじゃないかな。
電話してみると、あっさりOKの返事。という訳で、どうも相性が悪かったドミトリーを後にしていざブルックリンへ!
ブルックリンの駅から電話をかけると、ハワイにでもいそうな陽気そうな男性が迎えに来てくれた。ゲストハウスの名前は「ふれんどハウス」。
週265$はちょっと高いかな、という気がしたけど、自分の部屋も持てるし、設備も悪くはなさそう。朝までいたドミトリーは無線LANの繋がりがかなり悪かったけど、たぶんキャパシティ以上に使う人が多いからで、ふれんどハウスならそれも大丈夫だろう。
ということでチェックインして、とりあえず1週間の寝床の確保は無事終了。ゆっくりルームメイト探しでもしよう。
ふれんどハウスはマンハッタンの南東方面に、地下鉄で少し下ったブルックリンの一角にある。マンハッタンは山手線の内側とちょうど同じくらいというから、ブルックリンは東京で言うと江戸川区あたりのイメージかな。ここの近くはメキシコ人街になっていて、中国人街も近い。とりあえず散歩してみようと、5番街を歩いて公園まで行った。
滑り出しは逆風也
6/2の深夜、ニューヨークに到着。21時半頃、エバー航空はほぼ定刻通りにニューアーク・リバティー空港に降り立った。
空港に降り立った瞬間身震いがするほど感動しワクワクした。なんて書きたいところだけど、思ったより着いた感動はない。何でだろう。年をとったから?先進国だから?空港があまりに落ち着いていて静かだから?
たぶん理由の一つは、ウンザリするほどの入国審査で待たされて疲れたこと。アメリカ市民権を持っていない人の列は、列の長さこそ長くないものの、一人当たりの面接時間がやたら長い。
「ウチの国で何すんの?英語の勉強だって?どこの学校?」「どこに住むんだ?」「ちゃんと滞在費はあるの?いくら?」などなどいろいろな質問をクリアし、何とかいらっしゃいのゲートをくぐった頃には23時近く。まあ慎重な姿勢はもちろん分からなくはないけど、もう少し効率的に出来そうなものだけど。
質問にはガイドブックの適当なドミトリーを挙げて何とか交わしたけど、実はこの時点で泊まるところは決まっていなくて、内心少し焦っていた。安くサブレット貸ししてもらえる話が直前でなくなったんだけど、仕方ない。
空港で電話のプリペイドカードを購入し、目星を付けておいたホステルに電話。早口でよく分からなかったけど、とりあえず空きがあるらしいことは分かったので、一時間位で到着する旨を告げ、すぐにバスでマンハッタンへ。
一時間程でPort Authority Bus Terminalなるところに着き、さらにタクシーで10分程で目指すHosteling International New Yorkに着いた。
これでもかという位、客を客とも思わない対応と手際の悪さに早くも嫌になりながら、一時間待って何とかチェックイン。
確かに世界各国から人が集まっているようだけど、無線LANもあまり繋がりが良くないし、イマイチかなぁ。
ドミトリーで一泊38$。こんなもん?
空港に降り立った瞬間身震いがするほど感動しワクワクした。なんて書きたいところだけど、思ったより着いた感動はない。何でだろう。年をとったから?先進国だから?空港があまりに落ち着いていて静かだから?
たぶん理由の一つは、ウンザリするほどの入国審査で待たされて疲れたこと。アメリカ市民権を持っていない人の列は、列の長さこそ長くないものの、一人当たりの面接時間がやたら長い。
「ウチの国で何すんの?英語の勉強だって?どこの学校?」「どこに住むんだ?」「ちゃんと滞在費はあるの?いくら?」などなどいろいろな質問をクリアし、何とかいらっしゃいのゲートをくぐった頃には23時近く。まあ慎重な姿勢はもちろん分からなくはないけど、もう少し効率的に出来そうなものだけど。
質問にはガイドブックの適当なドミトリーを挙げて何とか交わしたけど、実はこの時点で泊まるところは決まっていなくて、内心少し焦っていた。安くサブレット貸ししてもらえる話が直前でなくなったんだけど、仕方ない。
空港で電話のプリペイドカードを購入し、目星を付けておいたホステルに電話。早口でよく分からなかったけど、とりあえず空きがあるらしいことは分かったので、一時間位で到着する旨を告げ、すぐにバスでマンハッタンへ。
一時間程でPort Authority Bus Terminalなるところに着き、さらにタクシーで10分程で目指すHosteling International New Yorkに着いた。
これでもかという位、客を客とも思わない対応と手際の悪さに早くも嫌になりながら、一時間待って何とかチェックイン。
確かに世界各国から人が集まっているようだけど、無線LANもあまり繋がりが良くないし、イマイチかなぁ。
ドミトリーで一泊38$。こんなもん?
2010年5月30日日曜日
いざニューヨーク!
会社を休職して2ヶ月間ニューヨークに行くことにした。
今までは、学生時代から国際協力関係に興味があり、その後も仕事をしていることもあって、ほとんど発展途上国ばかりに行っていたので、僕の中では新鮮な選択肢。
欧米の先進国にはロンドンとパリに旅行で行ったけど、何もかも物価が高いし、すたこらさっと逃げ帰ってきた記憶がある。
ニューヨークに行くことを知人に伝えると、なぜ今アメリカ?なぜニューヨーク?と聞かれるけど、正直言って、僕はあまり深く考えていない。
仕事をする上で英語力が不足していると痛感していたので、まずは語学学校に通って英語の勉強をする予定。
だけどそれ以外にも、外国人に対して自分の意見を言うことの訓練や、多様な考え方やビジネスモデルを学ぶことも出来ればいい。加えて、旅行半分で楽しみたい。
と書くと、目的意識がはっきりしていないけど、まあいいかなと思ってます。初めての国では自分との相性が分からなかったり、あるいは偶然の出会いがあるかもしれない中で、かっちり何かを決めていくのも逆にモノの見方を狭めてしまう気がするので。
最初はアメリカの他の都市とも迷っていたけど、周りの人に相談すると十中八九はニューヨークを刺激的、楽しいなど肯定的な言葉で表現していたので、ニューヨークに決めた。
こんな訳で、6/2から2ヶ月ニューヨークへ行ってきます!ちなみに、余裕があれば2ヶ月間の語学留学後は北中南アメリカを旅する予定。
2009年10月1日木曜日
ビレッジフォンの次を考える人たち
今日は久々にスカッとする出会い。バングラ出身で九州大学のアシルさんと運良くランチできた。
マイクロクレジット、ビレッジフォンと言えば、ノーベル賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が率いるバングラデシュのグラミンバンクが有名。
バングラはアジアの最貧国などと呼ばれているが、こういったビジネスモデルに関しては、世界でもトップレベルじゃないだろうか。
さて、そのアシルさんらはグラミンバンクと連携し、One Village One Portal(OVOP)という取り組みを始めている(※このあたり真相のほどは要調査)。これは村の情報(世帯調査やウィッシュリスト)を集めるポータルサイトを「サイトオーナー」と呼ばれる村人/起業家が運営し、村の情報を、それを必要としている企業などに売る、というのが基本的な考え方。
人口の多数を占める農村の人々が何を求めているかが分かれば、いわゆる薄利多売型ではあるが、多くの顧客を手にすることができる。この意味で「BOP(Bottom of the Pyramid)ビジネス」の一端とも考えられるが、アシルさんは、ビレッジフォンの段階発展系として捉えているようだった。
つまり、携帯電話が普及していない段階ではビレッジフォンを村内で提供することに意味はあるが、携帯電話の普及と共に、その意味は薄れてしまう。そこで次の情報ビジネスを展開することで、継続して村内起業家にビジネスの機会を提供できる。
ビレッジフォンは数年先がないビジネスモデル、とは考えていたが、「ビレッジフォンの次」の考え方にシビれた。
もちろんバングラ以外で展開していくとなるとまた別の話だが、アイデアはスゴい!!
※初めて聞く話で、ちょっと話題に出ただけの話もあるので、詳細はこれから調査予定。
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