2010年8月26日木曜日

カリブ海の宝石を空から眺める

ベリーズは「カリブ海の宝石」と呼ばれている。らしい。


昨日、ネットで偶然知った、青年海外協力隊OGでこちらで起業しているアサコさんと会うことができ、いろいろ話を聞くことができた。ベリーズでの主な産業は観光業だが、ベリーズ旅行業界初の日本人コーディネーターとして頑張っていらっしゃる。ベリーズのような、あまり社会インフラが整っておらず、なおかつ外国人を受け入れる土壌があまりない(ように見える)国で起業するだけでも大変なことだと思う。


そのアサコさんから、おススメのツアーがあるよと、セスナ機をチャーターしてカリブ海のバリアリーフ(世界遺産、世界第2位の広さ)、ブルーホールを空から眺めるツアーを紹介された。セスナ機チャーターなんて、そんなセレブな匂いがするツアーはどう考えても無理だなぁと思ったし、予想よりは安かったもののやっぱりちょっと高かったから、最初は言葉を濁していたけど、「どうせ他の人がチャーターして飛ぶから、空き枠に安く乗せてあげるよ」と、かなり安くしてもらったので、急遽飛ぶことにした。


↓3人乗りセスナ機


こんな僕が「カリブ海でセスナ機をチャーターして世界遺産を眺める!」なんてハリウッドスターにしか許されなさそうな経験をしてもいいのだろうかと迷いつつも、パイロットを含めて4人を乗せた小型機は上空へ。


↓パイロットの腕がいいのか、あまり揺れなかった


これがもうホントに素晴らしい眺め!このまま海にダイブしたい!と誰もが思うに違いない。






↓直径313mの巨大ブルーホール


ベリーズに来て本当に良かったと思った。「カリブ海の宝石」というか、このカリブ海そのものが宝石だ。疲れ切った都会人にこそ、こういう場所に来て欲しい。汚れかけた心をジャブジャブ洗ってくれるに違いない。


今日は良い思い出が出来たし、旅を続ける元気をもらえた。


明日からグアテマラに向かいます。

2010年8月24日火曜日

メキシコ〜ベリーズ

メキシコのカンクンをスタートして2週間、ゆっくりペースでベリーズシティまで来た。カンクンからスタートしたのは航空券が比較的安かったというのもあるけど、安全なところからスタートしたかったというのもある。


5年前にインドに行った時、自分は割と旅に慣れていると思って油断し、深夜に着いたデリーの空港からのタクシーで行きたかった場所とは全く違う場所に連れていかれた事があった。後で聞くと、同じような状況で強盗殺人されたケースも過去にあったというし、何より初めにツマづいたことで嫌な印象を長く引きずってしまった。それ以来、旅の初めは特に慎重でいようと心がけている。


メキシコは治安が悪いと聞いていたけれど、周ったところがほとんどカリブ海沿いのリゾート地だったので、治安の悪さは全くと言っていいほど感じなかった。


↓カリブ海沿いのマヤ遺跡(Tulum, Mexico)


ベリーズに入ってからも、しばらくはSan PedroやCaye Caulkerなどのカリブ海に浮かぶ島でのんびり。


これまで沖縄とかハワイとかセブとかサイパンとか、そういう海がキレイと言われるところに全く行ったことはないけど、ココの海は世界でもかなり上位に入るキレイな海だと思う。特にベリーズに入ってからは、人口が少ないことも関係しているかもしれないけど、浜辺に打ち寄せてくる波は透明だし、ゴミもほとんど見かけない。浜辺から数mの言葉通りの海沿いのドミにも何度か泊まったけれど、打ち寄せる波の音と柔らかな潮風が気持ち良かった。


ベリーズはグアテマラの東に位置している、中南米の中では割とマイナーな国だ。来る少し前まで知らなかったけど、中南米で唯一公用語が英語。ベリーズシティに来てからは特にクレオールの割合が多くて、街を歩いていてすれ違うのはほとんど黒人だが、全国的にはメスティーソが50%近いという。CIAのWorld Factbookによると(iPhoneアプリで持ち歩けて便利!)、人口は31万人(2010年7月)と少なく、世界で176番目だ。


ITUによると、2008年のインターネット加入者率は2.7%で、中米の多くの国と同じように低い数字だ。大きな街はネットカフェがあるけど、値段が高くて速度は遅い。San Pedroでは1時間5$もとられた。今ベリーズシティでつないでいるところは、1時間2$。こっそりiPhoneを持ちながら街を歩いていると(あんまり大っぴらに持ち歩きたくない)、たまに使えるWiFiを見つけることもあるけど、あまり多くない。


あとはぶっちゃけ物価が高いと感じる。ベリーズの通貨はベリーズドルで、1US$=2BZ$と固定されているのでアメリカの物価と比較しやすいけど、例えば500mlの水が0.5-1US$、500mlのコカコーラが1US$、中華料理で一番安い焼きそばが3-4US$などなど、生活必需品の物価はアメリカとあまり変わらないように感じる。輸入モノが多いのもその一因かもしれない。


↓San Pedro、Caye Caulkerではどこにいてもエメラルドの海が見える(San Pedro, Belize)

2010年8月13日金曜日

ニューヨークからカンクンへ

ニューヨークを経って、メキシコに来た。日本にいる間からニューヨーク滞在後は中南米を回りたいと思っていたけど、とりあえずは旅のスタートを切ることができた。


ニューヨークからの片道航空券が$300以下で安かったこともあり、リゾート地のカンクンへ。その足ですぐにバスとフェリーでイスラ・ムヘーレス(Isla Mujeres, Women Islandの意)という島へ来た。南北8km程の、マンハッタンを半分に縮めたほど(横幅はもっと狭い)の島。


小さい島という意味ではマンハッタンもイスラ・ムヘーレスも似たようなものだけど、人に囲まれたニューヨークとエメラルドの海に囲まれたイスラ・ムヘーレスでは何もかもが違うように感じ、しばし惚けてしまった。


このギャップで一つ改めて思い知ったのは、大都会では自分と対話する余裕が持ちにくいこと。適度な対人のコミュニケーションはもちろん重要だけど、適度な自然とのコミュニケーションは自分との対話にとっても必要だと感じる。一人で海を眺めてる時に細かな人間関係なんて考えてても仕方ないしね。


ニューヨークでは、もちろん例外もあったけれど、実はあらゆる店の対応の悪さとか、すれ違う人から感じる他人への無関心さとかをよく感じていた。そういった人に対しては自分も無関心になっていくことが一つの有効な防御策だった。東京と違うのは、それに加えて人種の違いを意識せざるを得ないところだろう。人種の多様さから、ニューヨークは世界の縮図かと思ったこともあるけど、これが本当に縮図だとすると、何とも住みにくい世界だと思う。


そう感じていたからこそかもしれないけど、一方では人との出会いが重要で、ずっと親友と呼べるであろう友達が何人か出来たことが、2ヶ月の滞在で得られたことのほとんど全てだったと思う。


正直なところ、快く長期の休職を認めてくれた会社や送り出してくれた家族や友達には何かしらもっと具体的な成果を見せられたらいいなと思っていたけど、僕個人としては納得できたし、まあヨシとしたい。


ニューヨークで得られたことのもう一つは、様々な面での世界的標準の低さ、というか日本のレベルの高さが分かったことだ。これまでほとんど途上国にしか行ったことがなかったから、途上国特有のことかと思っていたことが、実は「○○の最先端」などと称されることも多いニューヨークでさえも当たり前だったことに気付いた。


例えばトイレの不清潔、不便さ。トイレへのアクセスなんかは、漏らしてしまった時のことを考えると人間の尊厳に関わる重要な問題と言える(かもしれない?)けど、ニューヨークでは例えば地下鉄の駅でトイレを見かけることもあまりなく、ほとんどの店舗でトイレが設置されているスターバックスのトイレにはいつも行列が出来ている始末。そのスターバックスのトイレさえ、壊れて使用不能になっていたところをいくつも見かけた。まあ犯罪対策とかいろいろ理由があるのだろうけど、ニューヨークだと困った時に人の親切に頼って何とかなるかもという期待もあまり持てそうにない。


街の汚さも目に付いた。ゴミ箱はいたるところに数多く設置されているのに、どういう訳かゴミ箱からゴミが溢れていることも多かったし、道端に捨てられているゴミも多かった。後はタバコの吸い殻。ほとんど室内で吸えないのと、灰皿がほとんど設置されていないためか、外で吸ったままポイ捨てが当たり前。タイムズスクエアでは毎朝道路の清掃をしている人がいたようだったけど、一夜の間に溜まったゴミが朝方には必ず散乱していた。


なんてまあ、汚いことばかり書いてしまったが、もちろん嫌な思い出ばかりだった訳ではない。ただ、こういった汚さを嫌だと言っていた他国の友達も多かったし、あながち日本人だけの感覚という訳ではないだろう。途上国援助では、しばしば日本の技術や日本人の感覚の押し付けが問題とされてきたけれど、日本人の感覚に自信を持つことも必要だろうと感じる。結果的に、いろいろな国の人たちと他国を観察して話し合うことができたことが、自分や日本人を知る上で良い経験になったけど、これが留学の醍醐味というヤツかもしれない。別に「留学」だけでなくて、何カ国かの外国人と観光旅行をするだけでもいろいろな気付きがあるんだろう。


もう一つ、日本食(特にSushi)人気の高さは身を持って感じた。何年も前から海外での日本食ブームについては耳にしていたけど、ニューヨークにいた間に多くの友達から「一緒にスシを食いに行って、何を食べたらいいか教えてくれ」と言われた。なので、日本食は計10回くらい食べたと思うが、僕が食べたところははっきり言ってどこもレベルが低かった。特にスシは鮮度も低いしシャリはすぐ崩れる。彼らはそれでもウマいウマいと言って食べていたのは、味覚が違うのか、日本のスシを知らないだけなのか。


さて、取り留めもなく書いてしまったけど、とりあえずこれにてニューヨーク滞在の簡単なまとめとして、これから少しの間中南米を旅します。


↓もちろんニューヨーク観光は普通に楽しかった


↓ナイアガラの滝にも


↓良くも悪くもニューヨークを象徴するかのように思えたサイン

2010年7月21日水曜日

公民権運動に関する、とある写真展で


タイムズスクエア近くにあるInternational Center of Photographyで、「FOR ALL THE WORLD TO SEE: Visual Culture and the Struggle for Civil Rights」という展示があったので行ってきた。


1940年代後半から1970年代半ばにかけての、アフリカ系アメリカ人の公民権運動に関する資料の展示と、その中で写真・映像メディアが如何に大きな役割を果たしたかを伝えることが主眼であった。


特に印象に残ったのは2点。1点目は人種差別・人種隔離を明確に示す1940年代〜50年代の看板で、例えば「No Dogs, Negros, Mexicans」などと書かれているもの。自分の立場に置き換えて考えると、これ程胸くそ悪いものはない。


2点目は、1950年代に出版された「Second Annual Negro Consumer Market Survey」と「The Urban Negro Market Potential」という出版物。外側しか見えず何が書いてあるか分からなかったので何とも言えないけど、「黒人を購買力のある存在とみなしたことが、後の公民権法制定等に良い影響をもたらした」という趣旨の展示だったのだろう。これは興味深いところで、経済的利益を求める姿勢がどのようなベクトルで人種差別撤廃の方向に影響していたかは調べてみたいところ。


展示を見られたことについては満足だったが、企画全体としてはあまり良い印象を受けなかった。一つは、こうしてまとまった展示とすることで博物館化されて、あたかも人種差別が過去のもののように見えてしまうこと。もう昔のことですよ、と言わんばかりの印象を受けてしまうが、実際には差別的感情は色濃く残っている(とニューヨークに来て感じた)。


もう一つは偶然かもしれないけど、黒人の来館者が一人もいなかったこと。50人くらいの来館者がいた中で、だ。例えば上記のような人種隔離を示す看板などは、今見ても決して気持ちの良いものではないだろう・・・

2010年7月4日日曜日

Rockawayビーチと花火と

独立記念日はビーチで遊んだ後、花火へ。猛暑が続いていたこともあってか、ビーチはすごい賑わい。


花火については、「アメリカの花火は、(豪快そうなイメージがあるけど)ショボいよ」と聞いていたのであまり期待していなかったけど、割と近くで見られたからか、思いのほか普通に楽しめた。ただ、花火は30分程だった。日本の花火はやっぱりすごいと思う。